Interviewインタビュー
中四国地区ラクロスリーグ戦が今年で30周年を迎えた。そこで、これまで中四国ラクロスの輪をつくり、支えてくださった方々にインタビューを行った。第1弾となる今回は、1997年に中四国学連委員長を務めた鈴木典江さん。学生時代から現在までラクロスにかかわり続けている彼女のラクロスへの想いに迫った。
プロフィール 鈴木典江(すずきのりえ)
出身大学:島根大学 ポジション:AT
1996年現在の新人委員会である普及部に所属し、翌年には学連委員長、1998年~2007年までは事務局次長を務めた。様々なチームでコーチ経験を経て、2019年東京都中央区でクロススマイル・スポーツクラブを立ち上げる。2021年からインドアジュニアラクロスチーム、2023年からは男女フィールドクラスをスタート。小中学生のフル防具の男子クラスも行っている。
Q.ラクロスに入部したきっかけを教えてください。
A.綺麗なお姉さんたちが「彼氏よりもラクロス!」というのでその真偽を確かめるためです。というのはきっかけの半分で、入学式で友達になった子と大学でも夢中になれるスポーツを探していたところクラブ紹介の冊子に「ラクロス」を発見しました。体験会に行くと男子のみで、上記の先輩から連絡があり、近くの公園で会うことになりました。私たちはジャージで行ったのですが、先輩たちは素敵な私服…。ラクロスって何だろう?と謎は深まるばかりでした。2週間以上たってから自転車で40分以上かかる山の上にある女子短大と合同の体験会に連れていってもらってようやくラクロスができた嬉しさと、その時のパスキャッチが楽しくて、すぐに入部しました。
Q.学生時代のリーグの思い出を教えてください。
A.1年生の時は山口大学が松江で試合するので、明日対戦する山口大学の子をホームステイさせて、と頼まれてびっくりしました。当時は大会運営が持ち回りで1つの大学が運営するという仕組みで、最後は温泉宿にみんなが集合して次回の開催大学を決める、という謎のミーティングがありました。当然みんなやりたがらないという状況でした。3年生の時はリーグ戦を松江でやりたかったので、岡山大学と川崎医療福祉大学を呼んで、ダブルヘッダーで試合を組みましたが、流石に運営とダブルヘッダーはきつく連敗スタートに。愛媛・松山合同チームと松山で試合をして勝ちましたが、実はこの試合の前日、愛媛大学のキャプテンと電話で話をしていて、正ゴーリーが怪我をして、そのキャプテンが急遽ゴーリーをする話を聞いていて「明日わかる話やけんね」と隠すこともなく、なんでも話せる関係でした。結果、岡山大学が優勝し、愛媛大学・川崎医療福祉大学・島根大学が同率2位となり得失点差で川崎医療福祉大学が2位、島根大学が3位、愛媛大学が4位だったのですが、優勝チーム以外で選抜チームを組んでいたので、結局みんな一緒に東京に行って試合をした思い出があります※。
※東京での試合:当時開催されていた各地区のエキシビションマッチのこと
Q.大会運営として、リーグに関わった際のエピソード、苦労したことや記憶に残っていることを教えてください。
A.大会運営より、中四国の組織作りに苦労しました。3年生になる春、2年生の秋から準備に入り、同級生の仲間に片っ端から電話して、新人委員会、大会委員会、広報委員会を作ること、審判部、強化部などを作ること、語りまくりました。電話代が莫大な金額になりました。男子まで手が回らず、女子だけでスタート。翌年に、男子もやってよ、と言われ、一緒に進めて行きました。メールのない時代なので、FAXや電話を駆使して活動していました。そういえば、なぜか関西の強化部の人に勝手に強化部を作るな、名乗るな、と怒られたこともありました。協会の人にあまり相談せずに、いろいろ勝手に進めていたからかもですね。初めて大会委員会を作った1997年は委員長が初回の会議の時に、なんと海外旅行に行っていて日本にいないというので、当時2年生の広島大学の子に副委員長と会議の仕切りを頼んだところ、見事に進めてくれました。その彼女は今では大学で教鞭をとっています。1998年か1999年頃、その広島大学が素晴らしいオフィシャルをしていたのを関西から来ていた審判の方が見て、全日本選手権にオフィシャルで呼ばれたことがありました。前代未聞の話だったと聞いています。
Q.ラクロスの経験が今に活きていると感じることはありますか?
A.全ての経験が活きています。組織を作ったことも、その後の仕事にもいきましたし、楽しいところに人が集まる!と信じて楽しむ場を作ってきた学生生活だったので、今でもその精神でジュニアクラブを作っています。また、強豪チームでなかったことが「強いチームを作りたい」とコーチになった原動力ですし、学生時代に自分のチーム作りなどでたくさん失敗したことが学びになり、いろんな考えの人がいること、相手を理解することを考えるようになりました。
一番大きいのは、ラクロスで描いた夢が、そのまま人生の夢になり、子供ができてから人生を振り返った時に、この夢を実現したい!と動き出したことです。動き出したら、仲間ができ、その仲間の夢も応援する日々です。全てがラクロスから始まったと思います。
Q.最後に、今の学生に向けてメッセージをお願いいたします。
A.夢中になってラクロスを楽しもう。可能性は無限大。そして、ぜひ卒業してもできる範囲でラクロスに関わっていってほしいと思います。ラクロスは最高の遊び場です。思い切り楽しんでください!
鈴木典江さんのお話から中四国ラクロスの歴史の変遷をたどることができた。次回は審判員としてご活躍されている川原慶彦さんにインタビュー!▸▸▸https://www.lacrossemagazinejapan.jp/?p=10782&preview=1&_ppp=e5c7616a6a
インタビュアー:水島愛 編集:和家陶子