Interviewインタビュー
今注目したい審判員を紹介する企画のPick Up Referee!
数多くいる審判員の中には、プレーをしながら審判員をする方、プレーを卒業して審判員だけをやる方、審判員のみを経験する方など、いろんな環境下で審判員をしている方がいます。
今回は過去審判員をしていましたが、一度引退、空白の期間を経て現在はラクロスに選手、そして審判員も再開されたこの方をご紹介します!
※日本ラクロス協会下の審判資格保有者は男女競技合わせて日本全国に約2200名。
その内、一番高いレベルである1級審判員は男女競技合わせて約60名。
その次に高いレベルの2級審判員は男女競技合わせて約220名。
その次のレベルの3級審判員は男女競技合わせて約1330名。
<プロフィール>
【名前】石川 公丈(イシカワ キミタケ)
【年齢】50歳
【出身】埼玉県
【出身大学】明治大学1994年3月卒業(1993年度卒業)
【現在のラクロスとの関わり】選手:amigo所属(過去はADVANCE-HANGLOOSE、BIGRED所属)
【審判歴】1991年に審判資格取得、一度ラクロスから離れ、再度審判員の資格を取得。
【JLA審判資格】3級(新規):元2級
【現在の仕事】会社員
– 審判資格を再取得した理由
「ラクロス」というスポーツは、「プレーをする」、「観戦する」という一般的なスポーツとの関わりの他に「(各地へ)普及させる」、「(母校、他校問わず)指導する」、「(組織や大会を)運営する」等の様々な附帯する活動を特別なものではなく選手やチームスタッフ自身が主体的に行っているのが魅力だと感じています。「審判」もその一つです。
私にとって「ラクロスをする」とは、審判を含めた附帯活動を含めたものです。
親の介護や子供達の世話でラクロスからは暫く離れていましたが、それらが一段落して選手として復帰した現在、審判として復帰することも私にとっては特別なことではありませんでした。
とは言え、審判として復帰することに一切の躊躇が無かったわけではありません。と言うのも、この歳になっても試合の審判をすることに「恐怖」を感じるのです。この試合の為に選手やチームスタッフが積み重ねた努力を自分のミスジャッジによって台無しにしてしまうのではないか。」という恐怖です。この恐怖から逃れたいという思いもありました。しかし、選手として復帰した1年目のリーグ戦で自分の子供のような年齢の若い方が我々の試合の審判をして下さっている姿を見て、「自分もやらなくては。」と強く思いました。
– 久し振りに審判員を再開した時に驚いたこと
筆記試験にも実地講習にも非常に多くの方が参加されていることに驚きました。
そしてその多人数の試験や講習を審判部の方々が効率的に運営されていることに感心しました。
実地講習には多くの学生に混じって受講しましたが、社会人は極少数で照れ臭く、居心地が悪かったですね。クラブチームのマネージャーの女性が1名いらっしゃったのが心の支えでした。
– 日頃のトレーニングについて
仕事から早く帰宅した平日にはなるべく走るようにはしています。
– ラクロスを再開してよかったなと思うこと
私が所属しているクラブチームのamigoですが、下は大学生、上は50歳と幅広い年齢で構成されています。そして私と同世代の選手もかなりの割合で所属しており、彼らとはかれこれ30年の付き合いになります。体力的にはかなり衰えていますが、週末にグラウンドへ行けばそんな彼らと共に気持ちだけは30年前にタイムスリップして、楽しい時間を過ごしています。
私は学生時代にオーストラリア・キャンプに参加して、現地のクラブチームにお世話になりました。
そのチームは高校生からそのお父さん世代までが一緒にラクロスを楽しんでおり、学校の「部活動」で同世代としかスポーツをしていなかった私にはとても新鮮でした。私も将来はこんな風にスポーツを楽しみたいと思いました。その三十年前の思いを実現できているのは嬉しいですね。仲間に感謝です。
-めざす審判員像
理想の審判員像は「ジャッジ」ではなく「コントロール」が出来る審判員です。
フィールドの選手からは信頼され存在感を示しながら、観客からは「いるのか、いなのかわからなかった」というのが理想です。
過去に審判をしていた時は「如何に反則を取るか」ではなく「如何に反則をさせないか」を意識していました。その為に、フィールドの選手への声掛けを積極的に行っていましたが、現在のラクロスは昔よりプレーのスピードが格段に上がっていますし、審判のシステムも変わっています。昔のやり方は通用しませんので、これから色々と勉強して行きたいです。
Photo by 日本ラクロス協会オフィシャルフォトグラファー 海藤秀満、amigo所属 西本 公俊
日本ラクロス協会広報部 LACROSSE MAGAZINE編集部