Columnコラム
2024年11月9日(土)・10日(日)に行われる「日清食品presents第25回ラクロス全日本クラブ選手権大会」の第1回戦に出場するのは、北海道、東海、関西、中四国・九州の4支部の優勝チームです。このコーナーでは各支部から出場するチームの見所をお伝えします。
第2回 東海支部(男子)からはOPEC VORTEX
【OPEC VORTEX試合情報】
- 日時:2024年11月10日(日) 11:00~
- 場所:テラスポ鶴舞(名古屋会場)
- 対戦相手:North AXIS(北海道支部)
日清食品presents第25回ラクロス全日本クラブ選手権大会 特設サイト
東海支部(男子)からは、OPEC VORTEX(オペックヴォルテックス)が「日清食品presents第25回ラクロス全日本クラブ選手権大会」に出場します。どんなチームか、見所はどこかOPEC VORTEX主将#26小野泰輔さんと最年長#8祖父江真吾さんにお聞きしました。
クラブ選手権大会には7回目の出場
OPEC VORTEXが全日本クラブ選手権大会(以下、クラ選)1回戦に出場するのは、2大会連続4回目。西日本支部だったときを含めると7回目の出場となります(※)。
【ラクロス全日本クラブ選手権大会 歴代出場チーム 東海支部(男子)】
※2020年:新型コロナ感染症の感染対策のためにクラブ選⼿権・リーグ戦とも実施せず。
※東⽇本⽀部 3位
※2015年「1回戦戦績」欄の得点表記は、東海⽀部が左。クラブ選⼿権のHOME・AWAYではない。
※2014年までは、現・東海⽀部は現・関⻄⽀部と「⻄⽇本」⽀部として⼀つだった。
※2015年に⻄⽇本⽀部から東海⽀部として独⽴(⻄⽇本⽀部という名前は消滅)。
※OPEC 2⼤会連続7回⽬(⻄⽇本⽀部時代含む)
【ラクロス全日本クラブ選手権大会 歴代出場チーム 旧・西日本支部(男子)】
※1999年〜2011年は準決勝と決勝のみ(1回戦=準決勝)。
※第1回(1999年開催)は東⽇本のチームのみ出場。⻄⽇本は2000年から出場。
※2014年までは「⻄⽇本⽀部」(現・東海⽀部のチームも当時⻄⽇本⽀部だったため現・関⻄⽀部リストの歴史に掲載)。
※2015年〜「関⻄⽀部」(⻄⽇本⽀部という名前は消滅)。
※「1回戦戦績」欄の得点表記は、⻄⽇本⽀部が左。クラブ選⼿権のHOME・AWAYではない。
※NLC HORNETZ:2001年〜。ナニワラクロスクラブからチーム名変更
※OPEC VORTEX:2006年〜。中東ラクロスクラブからチーム名変更
「楽しさ」と「勝つこと」は相関する
#26 小野泰輔さん
2024年度主将の#26小野泰輔さんにOPEC VORTEXの見所をお聞きしました。
「大学院生から40歳(#8祖父江真吾さんのことです)まで幅広い年齢層の選手が一体感を持って楽しそうにしている、というところが見所であり良さだと思います」。
ラクロスを楽しむオトナタたちがたくさんいるということは素晴らしいことだ、とほほえましく聞いていたのですが、ちょっと待ってください。東海支部で優勝したOPEC VORTEXが「楽しさ」を追求して、どうやって勝ち上がってきたのでしょうか。
「東海の社会人という枠のなかだけで言うと、楽しさと勝利は相関すると思っています」。
主将・小野さんはきっぱりと言います。
「今シーズンは、みんなが楽しくできているかを見ながら主将をしてきました。『勝ち』は、楽しかったことに起因していると思っています」。
社会人になって仕事や家庭、子育て、大学院生なら研究といったやりたいこと・やらなければならないことがたくさんあるなかで、「ラクロスのほうが楽しい」と思わなければ、ラクロスに来てもらえないと言うのです。
「OPECに来ることが楽しいと思ってもらえることが大切で、その楽しいと思うことがラクロスじゃなくてもいいと思っています。なんなら、OPECにおしゃべりだけしに来てくれたらいいんです」。
「渦」を作っていろんなものを巻き込む
VORTEXは「渦」という意味のラテン語。渦のようにいろんなものを巻きこんでいきたいと言う名前の通り、OPEC VORTEXにはいろんな世代・背景の選手がいます。
主将・小野さんもその一人。もともと早稲田大学でプレーをしていた「関東学生1部リーグ」の選手で、東海にはゆかりのない選手でした。
就職で名古屋へ来ることになったのですが、就職先が祖父江さんと同じ会社だったことからOPEC VORTEXを知り入部しました。
祖父江さんは、まだ大学を卒業していない小野さんを名古屋へ呼び寄せては、ひつまぶしを食べながら一緒にラクロスをしようと声を掛けていました。
「なぜOPECに入ったかというと、OPECしか知らなかったからです」と笑う小野さんですが転職をしても名古屋の企業を選んだのは、OPEC VORTEXでプレーをするためだったと言います。
「地方」のチームが東日本に勝つこと
小野さんを誘った祖父江さんですが、2007年に北海道大学を卒業したのち、故郷である愛知県へ就職で戻り、17年間OPEC VORTEXでプレーしてきました。祖父江さんが北海道学生リーグと東海クラブチームリーグでプレーしてきて感じることは、「地方」というコンプレックス。
日本のラクロスにおいて、「関東(東日本)」はラクロスをするのに多くの環境で優位であると祖父江さんは感じています。ラクロスプレーヤーがたくさんいる。コーチもたくさんいる。だからこそ、関東(東日本)のチームに「地方」の自分たちが勝ち、地方のラクロスに夢・可能性を与えること。それが日本「全体」のラクロスを盛り上げることになると祖父江さんは強く思っています。
OPEC VORTEXの選手も「東日本のチームに勝つ」ことは悲願です。けれど、ずっと東海リーグのなかでプレーしてきた選手たちには東日本に勝つ方法が分からない。
そこで、祖父江さんは、関東学生1部リーグでプレーし、第10回全日本ラクロス大学選手権(2018年)で優勝も経験している小野さんをチームメイトに迎えることに意味を感じていました。
廃部危機からの脱却
胴上げされる#8祖父江真吾さん
OPEC VORTEXは2大会連続でクラ選へ出場することになりましたが、創部から31年の間に何度か廃部の危機に陥っています。
OPEC VORTEXは1993年創部なのですが、1990年代に創部という老舗チームは『2024年度リーグ戦パンフレット』で数えると全支部男女合わせて42チーム中8チームあります(ファンリーグを入れると62チーム中14チームが1990年代創部)。
OPEC VORTEXはそのなかでも2番目に古いクラブチームです(最古は1989年創部の東京ラクロスクラブ)。
どうやって廃部の危機を乗り越え、東海地区で優勝するチームにまでなったのでしょうか。
祖父江さんが入部した2007年のOPEC VORTEXは、西日本リーグの1部と2部を行き来するチームで、関西の強豪チームには相当悔しい思いをさせられたそうです。
入部3年目の2010年に祖父江さんが主将になり、その年は西日本リーグで3位、翌2011年、2012年は優勝、2013年には準優勝しました(※上の戦績表参照)。
ところが、東海支部クラブリーグを西日本から独立させた2015年にWOLVES(ウルブズ)が創部。OPEC VORTEXはWOLVESに勝てず、東海リーグの優勝から遠ざかるようになります。勝てないことから部員が減り、2021年には13名と廃部の危機を迎えます。
祖父江さんは、「僕が主将をするので辞めないでほしい。1ヶ月で20名にならなかったら、そのときに主将である僕の手で廃部にするから」と部員に伝えました。
結局、この年に部員数は40名近くになります。
大学生とのつながりは大切
40名近い部員は、「大学生とのつながりを大切にしてきたからだ」と祖父江さんと小野さんは言います。
祖父江さんと小野さんは当時、名古屋大学のコーチをしていました。その教え子たちが、「OPEC VORTEXでラクロスをしよう」と選んでくれたのです。
名古屋大学以外でも、名城大学や南山大学のコーチや合同練習をしてきました。大学生が卒業したらOPEC VORTEXに入ろうと思ってもらえる愛されるチーム作りを心掛け、結果、若い選手がたくさん入部してくれるようになりました。
教え子がコーチの尻拭い?
2024年度東海クラブチームリーグ決勝戦で対戦したARM ARTISTA(アルマ アルティスタ)とは、リーグ戦中からこれほどまでに互角なことがあるのかというほど互角の戦いでした。
直接対決では1勝1敗。勝ち点は互いに9点。総得点も28点。得失点差でARM ARTISTAが1位となりましたが、この互角ぶりは、決勝戦でも発揮されました。
得点するARM ARTISTA(東海クラブチームリーグ決勝戦にて)
決勝戦第4Qの残り1分で7-7。引き分けで試合が終了した場合、リーグ戦1位通過のARM ARTISTAが優勝になります。
均衡を破ったのはOPEC VORTEX#1和久正紀選手。2024年春に名古屋大学を卒業したばかりのエースがサドンビクトリー並みの重い1点を決めて、OPEC VORTEXを優勝へと導きました。
和久選手は、祖父江さんと小野さんが名古屋大学でコーチをしていた教えでした。
「感動したね、尻拭いしてもらったね」。
試合後、祖父江さんと小野さんは感慨深げに言います。
と言うのも、小野さんが第2Qでクリアミスによる失点、祖父江さんが第4Qでフェイスオフのファールで退場からの失点、とコーチだった自分たちのミスで危うく同点のまま負けるところだったのを助けてもらったと思っているのです。
集めた若い力が、リーグ戦や決勝戦で活躍してくれることを祖父江さんも小野さんもとても喜んでいます。
ベテランの温かみと、若い力の頼もしさ。大きくなった渦が旋風を巻き起こすOPEC VORTEXの試合を会場、配信で是非見てみてください。
東海支部の現状
ここからは、OPEC VORTEXが所属する東海支部がどういったリーグ戦状況なのか、日本クラブチームラクロス連盟副本部長の祖父江真吾さんにお話を伺います。
「あれ?」と思われた方、そうです。さきほどまでOPEC VORTEXについてお話をしてくださっていた#8の祖父江真吾さんです。
日本クラブチームラクロス連盟本部は、選手が運営もしています。
副本部長として閉会の挨拶をする祖父江真吾さん
東海支部は、2015年に西日本支部から独立しました。
独立時には4チームあったチーム数が、2024年度は3チームとなりました。
2018年から2022年まで優勝してきたWOLVESが、2023年に連覇が途切れたことで人数が減り、単独での出場ができませんでした。
もう1チームWELLS(ウェルズ)というチームがあります。「WE LOVE LACROSSE」の略で、ラクロスが好きなメンバーが集まり楽しくラクロスをするチームでしたが、こちらも人数が減り、単独出場できませんでした。
2024年度はWOLVESとWELLSが合同チームで出場しました。
祖父江さんは、「合併し、新チームを作るのか?」と質問をしましたが、両チームとも「名前を残したい。来年、1チームで試合に出られるようにメンバーを集めるので今年だけ合同チームで出場させてほしい」と懇願され、2024年度の特別措置で1チームとしてリーグ戦に参加してもらいました。
両チームとも、自分たちのチームを大事に思い、来年はそれぞれで出場したいという思いがあります。その思いは、東海支部にとって心強いものであります。
自分に合ったクラブチームを見つけてほしい
クラブチームの選手を増やすためには、大学生の力が必要だと祖父江さんは話します。
幸いにも、クラ選1回戦が名古屋会場・テラスポ鶴舞で開催されます。東海地区の大学生にクラブチームのことを知ってもらうよい機会です。
祖父江さんは、「名古屋開催なので、東海地区の大学生に見に来てもらって、卒業後もクラブチームでプレーしたいと思ってもらいたいです」とし、クラ選だけでなく、4チームが参加しているリーグ戦も見てもらい、自分に合ったクラブチームを選んでほしいと語ります。
どの支部も選手の数が減少しています。
卒業を控えた大学生にも、あるいは一度ラクロスから離れた社会人にも、クラブチームという選択肢があることを知ってもらいたと思っています。
是非、クラ選1回戦を会場で直接、あるいは配信で試合を見て、人生のおともにラクロスがあることを知ってください。
「日清食品presents第25回ラクロス全日本クラブ選手権大会」1回戦も熱いです。観戦と応援、よろしくお願いいたします。
【チーム詳細】
- チーム名:OPEC VORTEX(オペックヴォルテックス)
- 創部年:1993年
- Instagram:https://www.instagram.com/opecvortex/?hl=ja
【プロフィール】
名前:小野泰輔
背番号:26 MF 主将 出身大学:2020年3月 早稲田大学卒業 クラブチーム選手歴:2020年~OPEC VORTEX |
名前:祖父江真吾
背番号:8 FO 出身大学:2007年3月 北海道大学卒業 クラブチーム選手歴:2007年~OPEC VORTEX 副本部長歴:2015年~
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Photo by 日本ラクロス協会広報部 小保方智行
Text by 日本ラクロス協会広報部 岡村由紀子