Columnコラム
「日本一を目指したい」「年に数回試合ができたらいい」「転勤先にチームがあれば入りたい」。ラクロスへの取り組み方も楽しみ方も様々な人たちが加盟する日本クラブチームラクロス連盟。その多様な在り方を一つにまとめる連盟本部とはどのような場所なのでしょうか。ラクロスという「オトナの遊び場」を創るために奔走する連盟本部を取材しました(全4回)。
第2回 ここで一度、クラブの歴史を振り返ってみる
日本クラブチームラクロス連盟(以下、クラブ連盟)の本部長を2005年から2023年まで務めてこられた布施昌也さん。本部長として見てきたクラブ連盟の「これまで」と新本部長・原健太郎さんとともに作る「これから」についてお聞きしました。
2024年度からは本部長「補佐」に
布施昌也さんは、2005年に本部長に就任してから2023年まで19年間クラブ連盟本部長を務めてきました。
本部長就任以前も、1996年から1998年まで西日本支部長、2001年から2004年まで副本部長も務めていたので、本部に携わったのは通算24年、支部長期間を含むと28年クラブ連盟に携わっていることになります。
2024年、本部長は退任しましたが、本部長補佐(副本部長)として新本部長の原健太郎さんとともに、日々、形を変えていく各支部のクラブリーグ戦をオトナが遊びやすいように創り続けていきます。
初期のクラブチームリーグ戦の歴史を振り返ります
参考サイト:全国地区公式戦:クラブチームリーグ | 公益社団法人日本ラクロス協会
クラブチームリーグ戦は、1991年に始まります。
開催当時は、現在でいうところの「東日本クラブチームリーグ戦」1リーグのみだったのでパンフレットにも「第1回クラブチームリーグ戦」とだけ記載されています。
それまで学生リーグ戦だけだった日本ラクロス協会(現在は公益社団法人日本ラクロス協会。以下、JLA)に新たなリーグ戦が誕生しました。
第1回クラブリーグ戦パンフレット
その後、1994年に「第1回クラブチーム西日本リーグ戦(以下、西日本リーグ戦)」が誕生し、ここから2011年までクラブチーム東日本リーグ戦(以下、東日本リーグ戦)との2リーグ戦体制が続きます。
西日本クラブリーグ戦に布施さん登場
布施さんがクラブリーグ戦の歴史に登場するのは、大阪大学を卒業した1995年、西日本リーグ戦所属WILD BOARS(当時は「WBS」と表記)の選手として試合に出場することで始まります。
1995年は第2回西日本リーグ戦、第5回東日本リーグ戦の年でした。
翌年1996年は大阪ラクロスクラブの選手として西日本リーグ戦でプレーします(2010年まで。うち1999年のみ東日本リーグ戦のTALACO所属)。
クラブ連盟の運営に関わるのは大阪ラクロスに移籍した1996年からで、そこから1998年までクラブ連盟西日本支部の支部長を、2001年から2004年まで副本部長を務めます。
当時、布施さんが所属していた西日本支部(以下、西日本) は、東日本支部(以下、東日本)よりチーム数も少なく、運営は東日本に管理・手助けしてもらっているという状態でした。
最初は「西日本を盛り上げたい」から
布施さんは、1996年「自分たちの遊び場である西日本を盛り上げたい」と西日本支部長に手を挙げます。
「当時は、(クラブ連盟全体のことではなく)西日本の競技人口やチーム数を増やすにはどうしたらいいか、西日本を良くするためにはどうしたらいいかと思いながらやっていました」。
1999年の東京転勤を契機に東西の運営の違いに触れ、もっと西日本支部がしっかりしないといけないと感じたことをきっかけに、その後に西日本支部に戻り2001年に副本部長に就き西日本の運営力の強化や東西の運営の統一に取り組むことにしました。
このころの西日本は、関西学生リーグ戦で押さえたグラウンドを使わせてもらうなど学生リーグ戦に頼った運営をしていました。
「あのころは、学生におんぶに抱っこで、ご迷惑を掛けていたなぁと思っています。西日本クラブリーグ戦として独立させなくては、という思いはずっとありました」
それでもやっぱりまだ西日本のこと考えていた
2005年、布施さんはクラブ連盟本部長に就任します。西日本から初めての本部長です。
「当初は、全国大会のことよりも、まだ西日本を良くするためにはどうすればいいかを考えていました。どうチーム数を増やそうか、どう運営をしっかりさせようか、と。なので、全国大会をどうやって運営していたのだろうかと記憶がないんです」
全国大会の記憶がないのは、クラブリーグ戦が東西の2リーグしかなかったときの話で、「全国大会をきっちりしようと意識し始めたのは、支部が増えてきたころからです」との言葉にあるように、2012年中四国リーグ戦が誕生し、3支部になったころから全国大会の運営が記憶に残るようになります。
簡単に支部化までの流れを説明します
「各地区の学生リーグ戦で最初の卒業生が出てからだいたい5年経つと、その地区に1つクラブチームができるというサイクルがあります」(布施さん)
1チームではクラブリーグ戦ができないので、チーム数が増えるまでは、その地区の学生リーグ戦にエキシビション参加し、全国大会の道がないまま試合をします。
何年かしてその地区内での卒業生が増え、クラブチーム数も増えると、徐々にクラブチームだけでの大会運営を目指すようになり、「クラブ連盟に加盟しませんか」と声を掛けて、支部化を促すという段階に進みます。
なお、「支部化(リーグ戦誕生)」とは、「ラクロス全日本クラブ選手権大会(以下、クラブ選手権)の出場権を得ること」を意味します。
全国にリーグ戦が増えてきた歴史を振り返ります
その流れを経て、2012年に中四国リーグ戦が誕生します。
2015年には、それまで西日本リーグ戦で一つだった関西と東海が支部として独立します(西日本という名前は消滅)。
2019年には、北海道支部が男子のみですが誕生します。
こうして、2019年から2023年まで(2020年は特別大会)5支部でリーグ戦が行われ、クラブ選手権も6枠(男子1枠・女子2枠が東日本にワイルドカードが付与)で開催されてきました。
九州ブロックの誕生
なお、2016年には中四国リーグ戦内に「九州ブロック」ができ、九州のクラブチームにも全国大会への道が開かれます。
2021年には「中四国・九州リーグ戦」とリーグ戦の名称に「九州」が入り、九州の存在感が増していきます。
北海道支部は柔軟性のなかで誕生
「支部化するには?」に関して明確な規定はありませんが、男女で助け合いながらチーム数を増やしていくことを狙い、条件の一つに「男女同時に」というものを定めていました。
2012年の中四国支部化も、2015年の東海支部化も「男女同時に」が条件としてあり、それぞれクリアしていたため支部化が実現しました。
北海道も「男女同時に」ということを条件にしていたため、2012年、男子に3チーム目が誕生したのですが、女子が2チームでリーグ戦にならなかったため、「男女同時に」の条件が満たされず支部化ができずにいました。
それでも、男子が未加盟ながらも2012年から独立リーグ戦として運営してきた実績や女子の状況などを考慮し、クラブ連盟では男子のみでの支部化を認めることにしました。
2019年は北海道(男子)が支部化して初めてクラブリーグ戦に出場したので、「第1回目」となるところですが、JLAサイトには「第8回北海道クラブリーグ戦」と記載されているのは、エキシビションのころを含むためです。
今後のクラブ連盟の方向性
布施さんが本部長に就任した2005年から2011年まで、東西2リーグ戦のみが存在したため、既存のリーグ戦をより良く整えていくことに注力しており、全国展開を考えていなかったと言います。
2010年ごろから地方(東日本・西日本以外を便宜上こう呼びます)のチーム数が増えていき、布施さんのなかで少しずつ「クラブ連盟として、地方の拡大を考えていかないといけないのかもしれない」と思うようになりました。
2012年の中四国支部誕生を契機に、「どうすればクラブチームがもっと盛り上がるのか」「現在未加盟地区の加盟をどう実現させていけばいいか」について考えるようになりました。
そして、「クラブ連盟の未来を考えるなら、世代交代をしたほうがいい」とも考えるようになりました。
本部長交代で見るクラブ連盟の未来
2024年からは、布施さんは本部長補佐(副本部長)となり、新しく原健太郎さんが本部長に就任しました。
原さんは、九州に自身で2チームを立ち上げ全4チームにし、2016年に「九州ブロック」として中四国リーグ戦に加盟させ、九州に全国への道を開いた人です。
布施さんは、原さんのその熱意と地方出身者ならではの「全国拡大への意欲」に触れ、次期本部長には原さんを、という思いが強くなります。
2024年の本部長交代に向けて、布施さんは原さんとともに2年間準備してきました。
「原さんには、『クラブ連盟をこうしていきたい』という本部長の思いを実現してもらいたいので、自由に動いてもらいたいと思っています。自身の培った経験を活かし、本部長を全面的にサポートすることで、クラブ連盟に新たな風を吹き込んでもらいたいと考えています。」
次回は、新本部長の原健太郎さんに九州にクラブ選手権出場への道を切り開いた時の話と、本部長としてクラブ連盟をどうしていきたいかについてお聞きします。
布施昌也さん |
布施昌也さん 日本クラブ連盟本部長補佐【クラブチーム選手・クラブ連盟歴】 1995年 大阪大学卒業 1995年 WILD BOARS(西日本・選手) 1996年~1998年 大阪ラクロスクラブ(西日本・選手) 1996年~1998年 クラブチーム連盟西日本支部男子支部長 1999年 TALACO(東日本・選手) 2000年~2010年 大阪ラクロスクラブ(西日本・選手) 2001年~2004年 クラブチーム連盟副本部長 2005年~2023年 クラブチーム連盟本部長 2024年 クラブチーム連盟副本部長(本部長補佐) |
Text by 日本ラクロス協会広報部 岡村由紀子